株式会社コ・ラボの企業サイトブログ 「自社企画」へようこそ。ここでは株式会社コ・ラボのオリジナルブランド「NICELY」で扱うMilkomedaシリーズの誕生ストーリーを私の記憶と共にお送りしています。
富士山は、遠くから見ている時が一番きれいに見える
そんな話を聞いたことがあります。
その山に近づけば近づくほど、現実に近づけば近づくほど、
その美しさの裏側にある「険しさ」と向き合うことになる。
これは、そんなお話です。
たまたまプログラムを納品した帰り道に、母校があったので寄り道がてら挨拶に向かうと
「今、手が足りていない。職員を募集している」とのこと。
ちょうど、勤めていた会社で「帰休制度(※一時帰休)」の発表があった時期でした。
もしかしたら…という軽い気持ちで、トライしてみることにしました。
「今の給料は?」
『28万です』
「うちは、それに毛が生えたくらいしか出せない。それでもいいか?」
『はい、お願いします』
なぜか、トントン拍子に転職が決まりました。
ただ、すぐに気づきました。
そこは、学生時代に見ていた“夢を追い続ける仲間達との学び舎”ではなく、
ただの「絶望の巣窟」だったのです。
初日、私に告げられたのはこんな言葉でした。
「別の先生をクビにしたところや。お前がすぐ来たから恨まれるぞ 笑」
教務室に活気はなく、誰もやりたがらない仕事は私の担当になりました。
出来るかどうかを聞かれても適当に逃げる…プログラマの時に先輩に教わった教訓は、意味を成しませんでした。他にやる人がいなければ誰かがやるしかない、そしてそれは私だ。さもなければ学生の望む生活を保障できません。
モチベーションとは何か。
やりがいとは、どこにあるのか。
…ここに、その答えはありませんでした。
やっぱり自分の考えは正しかった。
夢だ希望だといった「美談」には、最初から距離を置いておいて正解だった。
希望なんか持つな。
これが私の処世術になりました。
なんせ私は、自分で「何の役にも立たない社会人」だと自覚していたので、
仕事がもらえるだけ、マシだ、実際にそう思っていました。
へっちゃらです。
魂を時間に変えて、対価を得る。
その時間さえ、耐えきればいい。
皆そうして生きている…
そうやって受け取った給料は、総支給額16万円と交通費。
調べると、日雇い労働者よりも時給が低い──
そんな仕事でした。
当然、暮らせません。
この時期が、私の社会人生活の中でも、
もっとも暗い時代だったと思います。
「自分が変わればいい」
「人を変えようとするな」
「誰かの役に立て」
ノブさんの教えだけを胸に、私は歯を食いしばっていました。
でも、私の教員生活は長く続きませんでした。
精神的には大丈夫でしたが、2年連続で喉を手術することになり、
2回目の入院費を捻出できず、父にお金を借りることになりました。
そのとき、父から言われました。
「お前は遊んでいるのか?
……うち(父の会社)に来てもいいよ。」
社会人としては、何の強みもない人間でした。
でも、ノブさんの教えだけは、ずっと胸に残っていた。
それを頼りに、自分の道をなんとか照らしながら、歩いていた気がします。
そして、私は父の会社へと流れ着いたのです。
誰でもそうだと思いますが、
自分の父の仕事なんて、1ミリも興味がありませんでした。
それとのまさかの出会い。
しかも扱っていた商材は、婦人下着。
全く縁も所縁もないものでした。
どこかの国の政治家の不祥事と同じくらい、興味が湧きません。
でも、それでいい。
やりたいことなんて、もう無いのだから。
学生時代に諦めた「夢」のコンプレックスが、今でも私を支配しています。
夢を追い続けて、挫折して、
ただの廃人みたいになって辿り着いたこの場所が、
もし誰かに「笑って」もらえるなら、それでもいいか…
頭の中には、今でも
“夢を抱えたまま不完全燃焼だった頃の自分”がいます。
その隣には、ノブさんが立っていて、
「お前が変われ」
「人の役に立て」
そう叫んでいます。
コメント