自社企画

第1章3話 幻影

株式会社コ・ラボの企業サイトブログ 「自社企画」へようこそ。ここでは株式会社コ・ラボのオリジナルブランド「NICELY」で扱うMilkomedaシリーズの誕生ストーリーを私の記憶と共にお送りしています。


富士山は、遠くから見ている時が一番きれいに見える
そんな話を聞いたことがあります。

その山に近づけば近づくほど、現実に近づけば近づくほど、
その美しさの裏側にある「険しさ」と向き合うことになる。
これは、そんなお話です。

たまたまプログラムを納品した帰り道に、母校があったので寄り道がてら挨拶に向かうと
「今、手が足りていない。職員を募集している」とのこと。

ちょうど、勤めていた会社で「帰休制度(※一時帰休)」の発表があった時期でした。
もしかしたら…という軽い気持ちで、トライしてみることにしました。

「今の給料は?」

『28万です』

「うちは、それに毛が生えたくらいしか出せない。それでもいいか?」

『はい、お願いします』

なぜか、トントン拍子に転職が決まりました。

ただ、すぐに気づきました。
そこは、学生時代に見ていた“夢を追い続ける仲間達との学び舎”ではなく、
ただの「絶望の巣窟」だったのです。

初日、私に告げられたのはこんな言葉でした。

「別の先生をクビにしたところや。お前がすぐ来たから恨まれるぞ 笑」

教務室に活気はなく、誰もやりたがらない仕事は私の担当になりました。

出来るかどうかを聞かれても適当に逃げる…プログラマの時に先輩に教わった教訓は、意味を成しませんでした。他にやる人がいなければ誰かがやるしかない、そしてそれは私だ。さもなければ学生の望む生活を保障できません。

モチベーションとは何か。
やりがいとは、どこにあるのか。
…ここに、その答えはありませんでした。

やっぱり自分の考えは正しかった。
夢だ希望だといった「美談」には、最初から距離を置いておいて正解だった。

希望なんか持つな。
これが私の処世術になりました。

なんせ私は、自分で「何の役にも立たない社会人」だと自覚していたので、
仕事がもらえるだけ、マシだ、実際にそう思っていました。
へっちゃらです。

魂を時間に変えて、対価を得る。
その時間さえ、耐えきればいい。

皆そうして生きている…

そうやって受け取った給料は、総支給額16万円と交通費。

調べると、日雇い労働者よりも時給が低い──
そんな仕事でした。

当然、暮らせません。

この時期が、私の社会人生活の中でも、
もっとも暗い時代だったと思います。

「自分が変わればいい」
「人を変えようとするな」
「誰かの役に立て」

ノブさんの教えだけを胸に、私は歯を食いしばっていました。

でも、私の教員生活は長く続きませんでした。

精神的には大丈夫でしたが、2年連続で喉を手術することになり、
2回目の入院費を捻出できず、父にお金を借りることになりました。

そのとき、父から言われました。

「お前は遊んでいるのか?
……うち(父の会社)に来てもいいよ。」

社会人としては、何の強みもない人間でした。
でも、ノブさんの教えだけは、ずっと胸に残っていた。

それを頼りに、自分の道をなんとか照らしながら、歩いていた気がします。

そして、私は父の会社へと流れ着いたのです。

誰でもそうだと思いますが、
自分の父の仕事なんて、1ミリも興味がありませんでした。

それとのまさかの出会い。
しかも扱っていた商材は、婦人下着。

全く縁も所縁もないものでした。

どこかの国の政治家の不祥事と同じくらい、興味が湧きません。

でも、それでいい。

やりたいことなんて、もう無いのだから。

学生時代に諦めた「夢」のコンプレックスが、今でも私を支配しています。

夢を追い続けて、挫折して、
ただの廃人みたいになって辿り着いたこの場所が、
もし誰かに「笑って」もらえるなら、それでもいいか…

頭の中には、今でも
“夢を抱えたまま不完全燃焼だった頃の自分”がいます。

その隣には、ノブさんが立っていて、
「お前が変われ」
「人の役に立て」

そう叫んでいます。

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