株式会社コ・ラボの企業サイトブログ 「自社企画」へようこそ。ここでは株式会社コ・ラボのオリジナルブランド「NICELY」で扱うMilkomedaシリーズの誕生ストーリーを投稿しています。少しずつ投稿しております。よろしくどうぞ。
社会人の常識は「非常識」の中にあるのかもしれません。
プログラマになったのは、2007年か8年頃だったと思います。
プログラマとは、なかなかイケている職業だと思われがちですが、実際の現場はかなり体力勝負でした。
ある日、残業を終えてメールチェックをしていると、別の現場に入っている上司から連絡が…
「作業を終えたら電話してください」
とっても嫌な予感です。
『もしもし、お疲れ様です』
「おーごめんね、〇〇の案件でさ…早急に対応できる?」
『はい、わかりました。今ちょうど作業を終えたところなんで、晩飯だけ食ってきます』
「OK、終わったら連絡くれるかな? 何時でもいいから」
作業はいくつも兼任し、夜中まで続く日もたくさん経験しました。
作業を指示した上司も、別の現場から帰れていないのです。私だけ帰るわけにはいきません。
就業規則的なものがあるのだとすれば、それは現場を知らない人が作った理想郷。
終わらなければ帰れない、これが基本原則で確定路線です。
またある日、当時私は大阪事業所に勤めていましたが、
私を可愛がってくれていた営業部長のノブさんから、こんな電話が。
「今日の最終で東京に来い! 荷物はいらねーよ、なんとかすっから!」
これまた嫌な予感です。
新大阪駅から新幹線に飛び乗って、品川駅に着くと
リラックスウェア姿のノブさんが。
『やられたっ!』
「朝まで遊ぼう!」
そんな人でした。
私のストレス発散方法は、今でもノブさんの遺伝子を受け継いでいます。
遊び以上に、大人としての教訓もたくさんいただきました。
「人を変えようと思うな、自分が変われ」
「お前は人の役に立てるヤツだ」
と言われたのを、今でも覚えています。
つらくて、でも楽しい。
そんな社会人としての日々の中で、私は少しずつ「成長すること」を許されていました。
そんな中、実は会社が多額の債務を抱えて傾いているという事実を知りました。
「銀行からの長期債務の返済が滞っており、それが問題になっている」 そんな内容でした。
間もなく、会社から正式な発表がありました。
社員を雇用したまま休業させる「一時帰休」の制度を活用するという通達です。
そして、会社の内情が明かされ、
「転職できるなら、できるだけ早く検討してください」とも告げられました。
でもそれは、私たちを見捨てたというより、
ギリギリまで守り、救い出そうとする姿勢のように見えました。
『作業はこんなにあるのに…それでも儲かっていないことがあるのか?』
当時のシステム開発業界は、多くの企業による価格競争の真っただ中。
安く受注して数をこなす そんな世界だったようです。
元々、うだつの上がらない社会人だった私は、
社会との接点を作ってくれたその会社に、後ろ足で砂をかけるようなことがないように。
ちゃんと話し合いを設け、失礼のないように丁寧に退職することを選びました。
逃げたわけではないです。
その会社が、大好きでした。
会社始まって以来、初めての拠点対抗野球大会を主催し、
東京・青山の球場で汗を流したこと 今でも忘れられません。
東京に出張に行くときは、今でもノブさんに必ず連絡を入れます。
「今もあの会社に居続けられていたら…」
そんなふうに思うことも、実はあります。
「相手を変えようとするな、自分が変われ」
「人の役に立てるヤツ」
この言葉が、今もずっと頭から離れません。
今現在、下着という何の所縁もなかった業種で、私は仕事を続けています。
それができているのは、あのときの教えが、今も私を支えてくれているからだと思います。
「自分が変わればいい」
「人の役に立つ」
そして
転職先は、私の母校でした。
あの日、夢を追っていた頃の自分に、再会するような。
そんな、不思議な転機でした。
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