株式会社コ・ラボの企業サイトブログ「下着の歴史編」にようこそ。本ブログでは日本の婦人下着の歴史について学んでいます。
突然ですが「ミシン」は何語でしょうか?ちなみに英語では「ソーイングマシン(sewing machine)」と呼びます。現在とほぼ同じ構造のミシンは1850年にアメリカでドイツ系の血を引くアイザック・メリット・シンガー氏(後にシンガー社を設立)によって発明されている事から「ミシン」はドイツ語でしょうか?いいえ、実は日本語なのです。ソーイングマシンのマシンの部分が変化して「ミシン」となり、ミシンが登場した頃は「裁縫ミシン」が正式名称として使われていました。ミシンが誕生してから手廻し式、足ふみ式、電動と進化を遂げており、その進化には日本の技術力が大きく関わっています。現代でも日本のミシンブランドは世界でも多くのシェアを持っており、車、カメラ、空調やその他家電に並ぶ優れた開発力で日本の工業のレベルの高さを裏付けています。ミシンには大きく分けて家庭用、工業用がありますが、そのいずれの発展も下着の黎明期と時を同じく発展してきました。今回は、下着の歴史から一旦離れ、国内でミシンブランドを持つ企業と特徴を纏めます。
ブラザー工業株式会社 所在地 愛知県名古屋市
ミシンブランド:ブラザー(Brother)
- 明治41年(1908年)安井ミシン商会を創業 ミシンの修理を行う
- 大正14年(1925年)安井ミシン兄弟商会に商号変更
- 昭和3年(1928年)麦わら帽子製造用ミシンを開発 商標Brotherとする
- 昭和9年(1934年)日本ミシン製造株式会社(現ブラザー工業株式会社)を設立
- 昭和18年(1943年)ブラザーミシン販売会社を設立
- 昭和22年(1947年)家庭用ミシンを輸出し始める
企業としてはミシンだけでなく、プリンターやファックスも有名。工業用ミシン、家庭用ミシンの双方を展開するブランドとして日本最大規模。下着の縫製工場では本縫いミシンを多く見かける。
大谷株式会社 所在地 京都府京都市
ミシンブランド:オータニ(OTANI)
- 大正2年(1913年)創業 家庭用ミシン販売を開始
- 昭和21年(1946年)工業用ミシン販売に転換 アメリカ・ドイツから輸入
- 昭和26年(1951年)グンゼ 和江商事との取引開始 工業用ミシンを強化する
- 昭和29年(1954年)ブラジャーカップ用サーキュラーステッチミシンを開発
工業用ミシン、裁断機、その他装置や部品を販売 中古ミシンの販売・買取も行う。和江商事がラバブルブラジャーと契約した際に、和江商事はラバブルの技術や機器を細かくメモに取り、自社用にラバブル社と同様の設備開発を依頼した先が大谷ミシンとなる、追加部品やバインダーを開発し和江商事だけでなく、最も難しいとされる下着の縫製技術開発を支えた。
ペガサスミシン製造株式会社 所在地 大阪府大阪市
ミシンブランド:ペガサス(PEGASUS)
- 大正3年(1914年)美馬ミシン商会を創業
- 昭和12年(1937年)オーバーロックミシン国産第1号を完成
- 昭和34年(1959年)ペガサスミシン製造株式会社に商号変更
環縫いを基とするミシン、オーバーロック、扁平縫いの展開が豊富。下着縫製工場では紳士インナーのラインで使用されるケースが多い。
蛇の目ミシン工業株式会社 所在地 東京都八王子
ミシンブランド:ジャノメ(JANOME)
- 大正10年(1921年)パイン裁縫機械製作所を設立
- 昭和4年(1929年)家庭用足ふみ式ミシンを販売 当時145円
- 昭和10年(1935年)帝国ミシン株式会社に商号変更 蛇の目ミシンを商標登録
- 昭和23年(1948年)国産家庭用ミシン「HA-1」を販売開始 当時23,000円
家庭用、職業用ミシンを展開する。かつては家に蛇の目ミシンがある事が一つのステータスとされた。
三菱電機 東京都千代田区
ミシンブランド:三菱(MITSUBISHI)
- 大正10年(1921年)三菱造船から電気事業が独立 三菱電機株式会社を設立
- 昭和5年(1930年)ミシン製造開始
- 昭和10年(1935年)独自設計のミシンを開発、特許を取得
- 昭和13年(1938年)銅の少ない電気製品を開発、ミシンにも応用
工業用ミシン専門、同社においては幅広い事業を展開するためミシン事業は目立たないが、下着縫製工場でも目にする機会がある、現在は名菱テクニカ株式会社がミシン製造を行っている。
ヤマトミシン製造株式会社 所在地 大阪府大阪市
ミシンブランド:ヤマト(YAMATO)
- 昭和2年(1927年)近藤ミシン商会を創業 工業用ミシンの輸入を開始
- 昭和21年(1946年)大和ミシン製造株式会社を設立
- 昭和25年(1950年)同社オーバーロックミシンが日本標準規格審議原案として採用される
扁平縫いの縫い終わりのホツレ止めを自動で行う世界初の機構を搭載したミシンなどを開発する。インナーを縫製する工場では、扁平縫いのミシンは同社の製品が揃っている事が多い。
株式会社 森本製作所 所在地 大阪市四条畷市
ミシンブランド:KANSAI Special
- 昭和2年(1927年)森本鉄工所として創業 飲料水製造機械の製造を開始
- 昭和6年(1931年)家庭用ミシンの部品を製造開始
- 昭和22年(1947年)工業用ミシンの製造を開始
- 昭和33年(1958年)株式会社森本製作所を設立
環縫いを基とする特殊な仕様に対応するミシンを展開、同社のミシンが使用されているか否かで縫いあげられる製品のバリエーションが大きく変わる。
JUKI株式会社 所在地 東京都多摩市
ミシンブランド:ジューキ(JUKI)
- 昭和13年(1938年)東京重機製造組合として設立 陸軍用小銃・機関銃生産を行う
- 昭和18年(1943年)株式会社に改組、東京重機工業株式会社に改称
- 昭和22年(1947年)家庭用ミシンの販売を開始、1号機HA-1を生産開始
- 昭和28年(1953年)工業用ミシン事業に参入
- 昭和33年(1958年)2本針伏せ縫いミシン発表
- 昭和34年(1959年)千鳥ミシン発表
工業用ミシンの世界トップシェアを持ち、製品の耐久性が高いとされる。家庭用のミシンも展開しており、世界24か国に販売拠点を持つ。
リッカー株式会社 東京都立川市(1987年ミシン製造から撤退)
ミシンブランド:リッカー(RICCAR)
- 昭和14年(1939年)日本殖産工業として設立
- 昭和18年(1943年)理化学工業に商号変更
- 昭和23年(1948年)ミシンの生産開始
- 昭和24年(1949年)リッカーミシンに商号変更
- 昭和34年(1957年)家庭用ミシンがグッドデザイン賞を受賞
家庭用・職業用ミシンを販売、一時は日本国内でトップシェアを誇った。1970年万国博覧会ではワコールと共同パビリオンを出展した。
アイシン精機株式会社 愛知県刈谷市(2019年4月事業終息)
ミシンブランド:アイシンミシン トヨタミシン
- 昭和18年(1943年)東海航空工業株式会社として設立 航空用エンジン量産を行う
- 昭和21年(1946年)ミシン1号機HA-1を生産開始
- 昭和24年(1949年)同ミシン月産1万台を突破
自動車のトヨタのグループ企業で繊維機器から始まり家庭用ミシンを生産していた。寝具のベット事業も行っていたが残念ながら自動車事業に集中するため惜しまれながらも2019年にミシン事業から撤退。
シンガー日鋼株式会社 栃木県宇都宮市(2000年に解散)※シンガーブランドは現存
ミシンブランド:シンガー(SINGER)
- 昭和18年(1943年)日本製鋼所として設立 飛行機用軍需部品製造を開始
- 昭和20年(1945年)家庭用ミシンの製造を開始
- 昭和24年(1949年)パインミシン製造株式会社を発足
- 昭和29年(1954年)米国シンガー社のミシン製造を開始
- 昭和46年(1971年)シンガー日鋼株式会社に改称
かつて家庭用・工業用のミシンを製造していたが、シンガー社の工業用ミシン撤退を期に解散。
株式会社アックスヤマザキ 所在地 大阪府大阪市
ミシンブランド:アックスヤマザキ(AXE YAMAZAKI)
- 昭和21年(1946年)家庭用ミシン製造を目的として創業
- 昭和26年(1951年)ミシンの輸出を主体とする
- 昭和31年(1956年)株式会社山崎ミシン製作所に商号変更
シンガー社へのOEM供給商品でグッドデザイン賞を獲得や、子供でも使用できるホビーミシンを販売、近年では「子育てにちょうどいい(もっといい)ミシン」などが有名。
株式会社ジャガーインターナショナルコーポレーション 大阪府守口市
ミシンブランド:ジャガーミシン(JAGAR)
- 昭和24年(1949年)丸善ミシン株式会社を設立 ミシンとミシン部品の製造販売を行う
- 昭和27年(1952年)家庭用ジグザグミシンの国産化に成功
- 昭和32年(1957年)米国シアーズローバック社と販売契約締結 輸出開始
- 昭和36年(1961年)ミシンの輸出台数全国第1位になる(12万8000台/年)
家庭用ミシンで根強い人気を誇る ベトナム・ハノイに生産拠点を持つ。
曖昧さ回避のための補足
蛇の目ミシン工業株式会社の前身「パイン裁縫機械製作所」と、シンガー日鋼株式会社の前身「パインミシン製造株式会社」は直接的な関係は無い。蛇の目ミシン工業株式会社、JUKI株式会社、アイシン精機株式会社などが発売したミシン品番「HA-1」は同じ規格で製造されたミシンで部品も共通のものが多い。当時は工業規格の統一を図るため異なる企業が同じ品番のミシンを製造していた。そのためミシンを製造する企業ではパーツ共有は当然のように行われており、修理業者の手間も省かれた。昭和20年代に製造されたミシンは保存状態が良ければ現在も使用可能。
コメント