下着の歴史編

2章2話. 進む提携と再編

株式会社コ・ラボの企業サイトブログ「下着の歴史編」にようこそ。本ブログでは日本の婦人下着の歴史について学んでいます。

前回は伸縮素材のポリウレタン繊維が登場しました、別名はスパンデックスで、昭和34年(1959年)頃から普及が始まっています。新素材の誕生によって国内繊維メーカーは海外企業との技術提携や合弁会社設立などを積極的に進めた訳ですが、この提携や合弁の動きは下着を製造・販売する企業にも派生して広がりを見せます。今回は、ポリウレタン繊維誕生から間もなく海外企業と絡めて再編された日本の下着業界の様子を見ていきましょう。

尚、今回登場する企業名については、時代によって変更されているため下着業界において認識しやすい社名を採用しています。


トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社

西ドイツのトリンプ・インターナショナル社が日本へ上陸したのは、昭和39年(1964年)日本レイヨン株式会社(現、ユニチカ株式会社)とカロリナ株式会社(現、株式会社プロスペクト)との3社合弁会社として設立、当初はインターナショナル・ファンデーション・アンド・ガーメント株式会社という社名であった。2021年現在においても世界最大の規模で展開される一流ブランドは、日本進出以前にベルギー、イギリス、スウェーデン、イタリア、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、オーストリア、オランダ、香港に支社を設立しており、1970年代に入るまでにアジア圏へもその範囲を広げ、92か国で自社商品を販売し世界の下着シェア50%以上を誇ったとされる。日本上陸後は、百貨店での直販方式で成果を上げ、女性達を惹きつけたその魅力は、洗練されたデザインによる美しさとカッティングによる機能性の実現であり、中でもオールインワンとフルカップのブラジャーはその後20年間にも渡ってベストセラーとなっている。

株式会社ナイガイ

元は靴下の製造販売を目的として設立され、スリップやショーツなど、下着の中でもランジェリーの普及を進めた内外編物株式会社は、アメリカで下着製造を行うカイザー社と昭和36年(1961年)頃から提携し、下着の高級化と多様化に対応した。昭和40年(1965年)にはランジェリーを越えてファンデーション分野へ進出し、研究チームをアメリカへ派遣させ、カイザー社からの輸入生地を使用した「ウィスポン」を発売している。「ウィスポン」はスパンデックスで作られた2wayトリコットという生地を使用しており、同じくスパンデックスを使用するパワーネットとは異なり、縦横の2方向に伸びる生地でソフトな感触であった。2wayトリコットを使用した下着はその後も重宝され、どの企業も主力資材として扱い、下着はより肌に近く、ソフトに進化してゆく。

株式会社レナウンエスパ

昭和39年(1964年)に若い女性向けの衣料品を扱うレナウン商事株式会社とポリウレタン繊維の「東洋紡エスパ」を製造する東洋紡積株式会社と下着製造の技術に定評のあるアメリカのリリー・オブ・フランスの3社の合弁によって設立された。翌年の昭和40年(1965年)には、レナウンリリーを発売、ニューダイヤモンドを冠したブラジャー、ガードルが高級ファンデーションに新たな彩を添えた。このニューダイヤモンドブラジャーは細幅のストレッチテープを前中心でクロスさせて表現した「ダイヤクロス」をデザインに取り込み、ニューダイヤモンドガードルでは菱形のパーツを腹部(前中心腹部)と臀部(後中心臀部)に配置し、お腹押えとヒップアップをという機能を実現し、スパンデックスの可能性を存分に引き出した。

アツギ株式会社

昭和39年(1964年)にアメリカのエー・ステイン社と技術提携を行いファンデーションとランジェリーの製造販売を開始。創業時は捕鯨用のロープの製造が中心であったが、ナイロン繊維との出会いで靴下やパンティストッキングの製造販売を行うようになり、女性の美と快適を追求する延長線上に下着が存在した。また、下着分野ではソフトな着用感を提供した「パーマリフト」を販売、その後も薄い生地、柔らかい生地を積極的に採用した。ソフト化へ舵を切れば同時に補整感が弱まりルーズな着用感となる事が多い中、繊維工学を取り入れ、ソフトな着用感と優れた補整感を両立させた。

グンゼ株式会社

明治19年(1886年)から製糸業を始め、メリヤス肌着を起点にアパレル分野へ進出、その他靴下、パンティストッキング、ポロシャツやパジャマなど、糸を開発する強みを生かして多くの繊維商品を世に送り出している。ファンデーションについては、昭和40年(1965年)フランスのルー社と提携して「ルー・グンゼ」や「モニカ」を発表し百貨店や専門店で好評を博した。また、独自の技術開発によって、クレカップブラジャーやグリップレスガードルなどを量販店向けに展開した。

カネボウシルクエレガンス株式会社

紡績会社の鐘紡株式会社が、日本の下着製造を牽引してきた株式会社半沢エレガンス(旧、半沢商店)を吸収し、アメリカのワーナー社と提携を結んで下着事業に進出したのは昭和41年(1966年)である。当初はカネボウエレガンス株式会社という商号であった。後にカネボウシルクと合併しカネボウシルクエレガンスとなるが、フランスの大御所「クリスチャン・ディオール」のライセンスを取得し百貨店、専門店で同社の地位をより確実なものにした。

今回登場した6社とワコールを含む計7社はその後、毎月のように入れ替わりながら百貨店の下着部門の売り上げトップ5を争っている。これは下着業界にブームが到来していた時期に伸縮ポリウレタン繊維が登場し下着を進化させ、さらには海外企業との提携が促進されていた点を除いて語る事はできない。また、背景知識として当時の日本における資本の自由化に触れておく事で状況をより深く理解できるだろう。海外の企業が日本に進出する際には、日本企業との合弁が基本的な条件となり、資本率は日本側に50%以上を持たせるという内容であった。日本側には合弁で立ち上げた新たな企業で主導権が与えられ、有利な環境の下で海外の優れた技術を手に入れる事ができた。これらは魅力的な条件に感じられるが、新規合弁の際に資本の50%を調達出来る企業だけが提携や合弁を許され、それが適う企業は繊維界において主に紡績、製糸業であった。一方で資金的に余裕のない企業は淘汰される運命を受け入れて、その後の繁栄の明暗を分ける事になる。こうしてポリウレタン繊維の登場は、資本主義の波に乗り業界全体の格付けに大きな影響を与えながら再編成していった。

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