株式会社コ・ラボの企業サイトブログ「下着の歴史編」にようこそ。本ブログでは日本の婦人下着の歴史について学んでいます。
下着に限らず業態によって組合や連合会、協会などが存在します。互いに協力しつつ利益拡大を目指すのですが、利点を生むのと同時に弱点を克服する目的もあるようです。今回は、下着業界の連携の様子を辿ります。それでは見ていきましょう。
「足利トリコット工業協同組合」
栃木県足利市の国道293号線は別名「トリコット通り」と呼ばれている。昭和22年(1947年)産業の集中を図った国策を受け、足利では経編(たてあみ)生地のトリコット工場を集めて同協同組合を設立。昭和41年(1966年)には日本国内のトリコット生産量のトップに輝いた。日本の繊維が織物中心であった時代に編物のトリコットの生産に着手し、下着の認知や成長を支えた。同協同組合が編むトリコットはスリップ、ネグリジェ、ショーツ等に使用され対米貿易の生地生産の中心地となっていた。下着に関係する組合ではおそらく最も古い団体となる。
「東京ブラジャー・コルセット協会」
量販店が誕生し下着の普及を加速させていた昭和32年(1957年)関東圏のファンデーション事業社によって形成された。主なメンバーは株式会社松岡商店、株式会社半沢エレガンス、株式会社ボンジョリー、ラブロン株式会社。東京の下請けメーカーを中心とした「関東ファンデーション工業協同組合」という団体も存在した。
「関西ブラジャー・コルセット協会」
関東ブラジャー・コルセット協会と同じ昭和32年(1957年)に下着の爆発的な普及を支えるべく関西圏のファンデーション事業社によって発足。主なメンバーは株式会社ワコール、株式会社ニュールック、モデル雑貨株式会社。モデル雑貨株式会社の代表を勤めていたのは安田武夫氏で、日本下着の創成期にワコールにブラパットを持って訪ねた人物である。
「関西トリコットランジェリー協会」
昭和34年(1959年)ランジェリー業界も下着の普及の波に乗り協会を設立。主なメンバーは西村メリヤス株式会社、株式会社エリザベス、大同布帛株式会社、株式会社ワコール、野村株式会社、株式会社ダイケンセンイ、川上株式会社、菱和産業株式会社、明宝繊維株式会社。同協会はランジェリーにレースを積極的に取り入れており、下着とレースの結びつきを強めた。この協会を母体として昭和38年(1963年)に「関西ランジェリー協会(KLK)」として再編成している。
「日本ブラジャー・コルセット・アンダーウェア協会(BCU)」
昭和35年(1960年)関東圏の「東京ブラジャー(以下省略)」と関西圏の「関西ブラジャー(以下省略)」を統合して組織された。昭和37年(1962年)には伸縮素材のポリウレタン繊維によって、コルセットがガードルへ移行したことから「日本ブラジャー・ガードル協会(NBG)」に改称している。
「彦根市縫製共同組合」
対米輸出の下着の生産拠点として多くの縫製工場を有した滋賀県彦根市では、貿易に関する輸出制限の影響によって受注数を減らしていた。海外用下着の生産では無く、日本国内の下着生産地へと方向転換する工場の協同組合として昭和39年に設立。設立時の縫製工場は22社にのぼる。
「日本ランジェリー協会連合会」
昭和44年(1969年)に設立されたランジェリー事業者による連合会。昭和40年(1965年)に設立された関東圏のランジェリー事業者による東京ランジェリー協会が、先に協会として集結していた関西ランジェリー協会(KLK)と一つになって創設された。この頃まではファンデーションとランジェリーは分けられた存在であった。現在の「日本ランジェリー協会」とは別団体
「日本ボディーファッション協会連合会」
45年(1970年)ファンデーショングループの「日本ブラジャー・ガードル協会(NGB)」の総会で改称。当時アメリカではファンデーションとランジェリーという異なる下着を一つにまとめて「ボディーファッション」と呼んでおり、日本の下着業界もその名称を取り入れた。協会名の変更当時はランジェリーグループとは異なる団体であったが、3年後の昭和48年(1973年)に歴史的大団結を実現させ、名実共に有力な企業を一同にまとめた団体となった。昭和52年(1977年)には通商産業省(現、経済産業省)の設立許可を得て、「一般社団法人日本ボディーファッション協会(NBF)」として現在に至る。
さて、下着の普及と共に小さな規模から協会を設立し始めた業界であるが、各協会設立には、長きに渡り下着特有の問題を回収する目的があった。その問題とは「基準」である。サイズの表記や品質管理方法が各社バラバラであり、それがユーザーの苦情になっていた。例えば同じサイズ表記でも最大伸び寸法に差があり、販売業者、納入業者によって製品のバラつきが目立ち、洗濯方法の明確な伝達が無ければ縮んでしまう等、あって然るべき統一基準が無い時期には各社の裁量に任せられていた。下着業界の最終形態「一般社団法人日本ボディーファッション協会(NBF)」では、昭和55年(1980年)JIS規格の制定によって、サイズの管理方法を統一。合わせて洗濯表示や、規制を設けており、ユーザーに安心して下着を着用していただける環境を整えている。現在の安定した下着のパフォーマンスが提供されたのは昭和50年(1980年)代に入ってから、つまり基準に沿った下着を作り始めて40年程しか経過していない。
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