株式会社コ・ラボの企業サイトブログ「下着の歴史編」にようこそ。本ブログでは日本の婦人下着の歴史について学んでいます。
本章最後です。通常の業務と並行しながらの更新なので、ゆったりしたペースになりますが、なんとか昭和の終わりまで来ることができました。昭和34年(1959年)から昭和末期までを本章の区切りとして、これまでの流れを纏めます。
昭和34年(1959年) 魔法の繊維、ポリウレタン登場
引っ張ると伸び、離すと元の長さに戻る伸縮性を持つポリウレタン繊維がアメリカで開発され、その2年後には日本でも商品化が始まる。魔法の繊維とも呼ばれ、天然繊維から合成繊維の時代へ突入し、伸縮性を持った下着は一気に現代的なモノへ進化した。
昭和36年(1961年) 海外企業との提携
ポリウレタン繊維によって注目が集まった下着業界は、さらなる規模拡大を狙って海外企業と提携を進める。当時の日本の法律によって、海外の企業が日本で会社を興すためには日本企業との合弁が条件であった。また日本企業側が50%以上の株を保有できたため、日本の企業が守られた。一方で提携を望む日本企業は十分な資本金を用意する必要があり、それが適う企業は一握りであった。
昭和40年(1965年) 不況に強い下着業界
日本全体の景気の動向の影響を受けず、下着業界は毎年30%の成長を続けていた。その裏には量販店(スーパー)の業績向上が関わっている。また下着は他の衣類と比べ専門性が高かく、一般のユーザーが自作できるような域を超えていたために、店舗で購入する以外に入手の方法が無かった。
昭和42年(1967年) 海外縫製スタート ミニスカート流行
高度経済成長によって豊かな生活を送れるようになり、人々の仕事も変わってゆく。若い世代は都会に働きに出る事が多いのに対し、地方の縫製工場の人手不足が目立ち始める。都会の縫製工場も流行りの仕事に比べ地味な工場での作業ということで、人員確保は難しくなってくる。国内縫製工場はより都会から離れた地域へ進出、それでもコストを抑えるために韓国、東南アジアでの下着製造がスタートする。
ヒッピーとも呼ばれる若い世代によって文化革命が起きる。ツイッギー来日によってミニスカートがブームになる。丈の長いガードル等から離れる傾向が強くなった。
昭和44年(1969年) ノーブラ・ムーブメント
終戦後に生まれた世代が青年期を迎え、世界中で自然回帰や束縛からの解放を訴えた。大人達が使う物は全て古いという過激な活動によって、下着が投げ捨てられたり、燃やされたりした。そのためそれまでには無かった新しい下着として、薄く軽く、補整感の強くない下着が登場する。
昭和45年(1970年) ベージュカラーが登場
若い世代に受け入れられた薄い下着は、肌の透けるような物も登場しており、より肌の色に近づけるべくベージュカラーの下着が考案される。多くの資材を同じ色に染める技術が向上、白い下着が一夜にして消えたと言われる程ベージュが人気カラーになった。
昭和47年(1972年) モールドカップの製造開始
それまでのブラジャーのカップ部分は型紙を作り縫い合わせて立体にしていたが、ウレタンシートや不織布に型を付けてカップを作るという新しい製造方法が導入された。モールドカップの優れた点は丸みであり、まるで下着を付けていないような自然な形を提供した。
昭和48年(1973年) 成長の鈍化 ランジェリーとの垣根を取り払う
日本経済がマイナス成長を記録し、高度成長期に終わりを告げても下着業界は年間10%の成長率をキープしていた。しかし、それまで年間30%の成長率を誇っていた業界にとっては初めて経験する不況であった。
それまで別の下着であった、ファンデーションとランジェリーを団結させ同じ「ボディファッション」という枠組みで活動する協会を設立。
昭和50年(1975年)代 下着の通信販売 訪問販売が開始される
通信販売が流行する以前は、顧客の消費活動が生活圏内に収まっていた。大きな都市から離れた地域では商品の選択肢が充分に揃っていなかったため、カタログやTVなどでの消費活動は次第に熱気を帯びてゆく。販売する側にとっては、都市部だけでなく日本全国を対象とした事業の拡大が可能になり、通信販売を通して規模を大きくした企業も多く存在する。
補整下着を扱う上で、試着への羞恥、正しいサイズの提供、適切な在庫の管理等が問題となっていた。それらを解決する訪問販売が新たな市場を開拓した。訪問販売では自宅やサロンへ見込み客を招いて商売が展開される。訪問販売を行う親企業が訪問販売員を獲得する形式をマルチレベルマーケティングと呼び、一部過激な販売活動もあった。
昭和61年(1986年) 形状記憶合金が下着に使用される
ある温度以下で柔らかくなり、その温度以上では元の形に戻る形状記憶合金で作られたワイヤーが誕生した。形状記憶合金は、数多の業種での活用に期待が持たれていたが、その特性を引き出せず研究段階で止まるケースが多かった。そんな中、下着の分野で取り入れられた事は大きなニュースになった。
2章では、下着業界が最も輝きを放っていた時期を振り返った。黄金期と呼ばれた30年間では、下着業界が日本経済の重要な役割を担っていたという事が今現在からは想像しがたい。この時代を駆け抜けた下着業界の人々は皆、昭和の中~後期を誇らしげに懐かしむ。過去に金色に輝いた時代から、その勢いは衰えつつあるのだ。古き良き時代を振り返る事で私達は現在を見つめ直し、今一度気を引き締めるべきだろう。これから数十年後には私達も現役を退き、次の世代へ引き継ぐのだから。過去から引き継がれ、眩しく輝いていたバトンは今、私達の手の中にある。3章へ続く。
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