株式会社コ・ラボの企業サイトブログ「下着の歴史編」にようこそ。本ブログでは日本の婦人下着の歴史について学んでいます。
昭和40年代(1965年)より以前は人々の消費が店舗に集中していました。下着に限れば百貨店、専門店、量販店が中心で、生活圏内に百貨店や専門店が無い場合は、最寄りの量販店で購入する以外に選択肢がありませんでした。そんな中、日本全国へ商品を送り届けている通信販売各社が下着の取り扱いを始め注目を集めます。今回は、下着の普及を加速させた通信販売を見ていきましょう。
日本の通信販売の歴史は古く、明治9年(1876年)頃に初の通販が誕生している。きっかけは明治4年(1871年)に開始された郵便制度よって、手紙だけでなく小包を送る事が出来るようになった事による。この郵便制度を使って最初に販売されたのは植物の種や苗であったとされる。海外に目をやると日本と同じ時期の明治5年(1972年)にアメリカで日用品の通信販売が開始され洋服やドレスなど衣類の販売も行われている。
その後、世界中を巻き込んだ世界大戦の時期には人々の往来が止まり、物資も少なくなったことによって通信販売は一旦中止されるも、平和な生活と人々の笑顔を取り戻す戦後の復興の陰に通信販売が存在する。
日本国内において、通信販売で衣類や下着を積極的にラインナップに加えた事業者を並べると次のようになる。
株式会社千趣会(当時は味楽会という個人企業)
昭和29年(1954年)にこけし人形の訪問販売を開始、可愛い物が無かった時代に女性達にささやかな笑顔を届けた。次いで料理レシピを載せた「クック」という雑誌が大ヒット。衣類の取り扱いは昭和51年(1976年)のベルメゾン創刊時よりカタログ通販が開始される。
株式会社スクロール(当時は武藤衣料株式会社)
昭和29年(1954年)に本社を置く静岡県浜松市にて「トッパー」という婦人用の丈が短いコートの販売を開始、トッパーによって内に着る衣類に迷わなくてよいとされ好評を博す。それから全国へ向けて営業を広げ、昭和42年(1967年)衣料品カタログ「ムトウ総合カタログ」を発行する。昭和49年(1974年)には生協と提携し通販業界でトップの成績を収める。
株式会社白鳩
昭和40年(1965年)に靴下の職域販売を始め、昭和51年(1976年)に通信販売を開始する。通販業界の中で、下着・肌着に特化する事に成功し、取り扱いブランド数は最も多い。平成7年(1995年)には下着業界の中で最も早くインターネット上の自社サイトでの通信販売を開始している。
ベルーナ(当時は友華堂)
昭和43年(1968年)に印鑑の訪問販売を開始、昭和58年(1983年)に衣料品の通信販売を開始し、昭和61年(1986年)に総合カタログ「ベルーナ」を創刊する。衣類やファッションの他に、雑貨や食品または家具に至るまで多くの品目を扱う。経営の多角化を目指して金融や不動産事業も行っている。
株式会社ニッセン(当時は株式会社日本染芸)
昭和45年(1970年)に武藤衣料株式会社の通信販売での成功を知り、呉服のカタログ販売を開始。主婦層をメインターゲットとして、全国の美容院にカタログを置く戦略を取り口コミによって注目を集めた。昭和50年(1975年)には総合カタログ「ニッセン」を発行し、衣料品や家庭用品の取り扱いを大きくしていった。
株式会社ディノスコーポレーション(当時は株式会社ディノス)
昭和46年(1971年)に日本初のテレビショッピングとして事業を開始。「東京ホームジョッキー」「リビング11」等、実際の放送開始は翌年の昭和47年(1972年)となるが、同じ年にカタログ通販も開始する。
株式会社セシール(当時は東洋物産株式会社)
昭和47年(1972年)にストッキングの訪問販売事業を営んでいたが、時代の流れを捉え通信販売を開始。昭和49年(1974年)にカタログ通販を基盤として成長を遂げる。テレビCMでのフランス語「Il offer sa confiance et son amour.」というフレーズが有名。後にディノスと合併しディノス・セシールとなり、さらに現在はニフティ傘下の通販ブランド。
株式会社Jコンテンツ(当時は株式会社なんぽ企画)
昭和48年(1973年)に設立後、社名を株式会社シムリーに変更、化粧品、衣類、ホビー、家庭用品等を扱う通信販売で全国展開を進める。その後、株式会社イマージュへ社名を変更し、平成25年(2013年)には衣料品、服飾雑貨事業を株式会社ディノス・セシールへ譲渡。母体となったイマージュは化粧品と医薬部外品の通信販売業を残して現在の株式会社Jコンテンツとなっている。
このように、昭和42年(1967年)以降はカタログやその他メディアを活用した販売方法が注目を集め下着の販売も徐々に開始され通信販売が最盛期を迎える。通信販売の最も大きなメリットは、日本のどこにいても都会と同じものが買えるようになるという事である。例えば、西日本と東日本、または九州と北海道のように地域による商品の差が一気になくなり、場所によっては最寄りの店よりも豊富な商品点数から選択できるようになる。現代よりも都市を跨ぐような移動に手間と労力を必要とした時代には人々の暮らしに大いにフィットした。また、通信販売の強みとして店頭には並んでいないような極端なサイズを扱う事であらゆる人への商品提供が可能になった。下着を含む衣類の取り扱いについては、食品のように腐るというような心配はなく、一定期間の保存や管理に問題がないという事も通信販売で衣類や下着が選択された一つの要因であろう。これで日本全国へ下着を流通させる方法が整った。本章11話の中で日本全体の景気と逆行する下着業界の成長は通信販売という新たな販売方法によってもたらされた成果かもしれない。そして日本全国へのお届けによって、全国民へ様々な下着が届くようになると、サイズ感の違いをはじめ、あらゆる点において統一的な基準がない事への疑問の声が大きくなる。本章12話の下着に関わる事業者の団結を促進させた要因のひとつが通信販売であったという理解にも大きな矛盾はない。
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