下着の歴史編

2章8話. 下着を身に付けない若者達

株式会社コ・ラボの企業サイトブログ「下着の歴史編」にようこそ。本ブログでは日本の婦人下着の歴史について学んでいます。

2章6話で登場したミニスカートは若い世代によって世界中へ広がりました。この動きはファッションの流れを大きく変え、最新ファッションはお金持ちから一般層へ派生していくのではなく、街を行く人々が思想と主体性を持って作りあげるものへと変化し、これがストリートファッションの始まりとされます。現代でいうところのカジュアルな方向へ舵を切ってゆくファッションは、下着にも時の流れに適した形を求める事になります。今回は、ファッションを通して若い女性達が解放と自由を願って起こした運動と下着を見ていきましょう。


昭和44年(1969年)アメリカで下着が投げ捨てられるという騒ぎが起きた。珍事のようにも聞こえるが、この出来事は下着泥棒の仕業や、業界関係者によるストライキではない。シカゴの女子大生が自分のブラジャーを外し、橋の上から河に向かって投げ捨てたのだ。この出来事は「ノーブラ・ムーブメント」として報道され、その他にも炎の中に下着を投げ入れるなど似た騒ぎが起きている。ここでもやはり、ヒッピーとされる若者達が掲げる「完全なる自由」に則り、下着を捨てるという行動で自然回帰や束縛からの解放を表現したのだった。この常軌を逸するような若者の行動は世間の注目を集めるネタとなり、メディアによって実際の規模よりも大きく報道され、ノーブラという極端な動向が独り歩きするようになった。アメリカでは下着業界を代表するラバブル社が、ノーブラに関する報道はショッキングではあったが、一部の女性による売名行為であると結論付け、その証拠にブラジャーを始め下着の売り上げが伸びている事を示した。日本においては、ノーブラに対する調査を実施し、流行に敏感であろう300名の対象者の内、ブラジャーを使用していなかったのは18名(6%)程度に留まっている。一過性の出来事とは言え、下着業界から声明発表や実態調査が行われたことは「ノーブラ・ムーブメント」に対し焦りや驚きを隠せなかったことを伺わせる。

あくまでも若者の主張は多様性と選択の自由なのだが、下着による締め付けや体形の補正、または誇張されたボディラインが、彼らの嫌う束縛や強制を連想させ一連の行動を引き起こしていた。これらは下着の売れ行きに影響を与えたり、下着自体の必要性に迫る事はなかったが、自然回帰をテーマとする新たな層への下着を作り出すことになる。まずブラジャーにおいては、1930年代頃からバストを支えるために使用されたワイヤーを外し、下着自体の面積を小さくする事で着用時の不快感を極力減らし、全体的に薄く透けた生地を使用して、肌を隠すという役割を軽微にした。ショーツについてもソフト、ライト、シースルーといった要素を積極的に取り入れた。これらは伸縮素材によって実現したために、昔のスタイルへ逆戻りではなく全く新しい下着として認知されている。ブラジャーであればブラレットスタイル、ショーツであればヒップハングスタイルやボーイズスタイルの誕生へと繋がった。

現代の私達に照らし合わせて考えた場合、これまでの物、例えば5年前10年前のファッションを古く臭く感じるのは理解できるが、それらが大きな拒絶を生んだり、一人一人の生活に抑制を強いるものであったり、自然回帰の訴えに繋がったり、自己表現という自由の妨げになっているのか?聞かれれば、そういった印象はないように思う。当時の若者の心理を理解したり、異なる時代を生きている自分自身とシンクロさせることは難しいのだが、歴代の物議を醸したファッションについて触れておくことで、ヒッピーとされた人達が追い求めた束縛からの解放や自然回帰、選択の自由を垣間見る事が出来るかもしれない。

  • 1920年代 膝上15cmより短い水着を取り締まる水着警察が存在し実際に逮捕者も出た。

  • 1930年代 働きに出る女性達がズボンを履く事に批判が集まった。それに加え膝上丈よりも短いショートパンツは規制の対象となる、理由は風紀が乱れるから。一部地域では着用禁止となる。

  • 1940年代 物資に乏しく配給が続いた頃クリスチャン・ディオールのニュールックが登場し、布が贅沢に使用されたため貧しい人々の怒りを買い、追剥ぎが現れる。

  • 1950年代 胸の形が際立つブラジャーがいやらしいとされ、国家の治安に関わる事態と言われる。女性の男装は解禁されるが、男性の女装は禁止。

  • 1960年代 マリー・クヮントのミニスカートは、ココ・シャネルに「醜い」と一蹴される。ビジネスシーンで女性のパンツスタイルは禁忌とされた。

過去に存在した規制や禁止などを知れば、抑圧的に感じてしまう。そしてこの感覚は残念ながら今現在に立ち、第3者の観点から数十年過去の習慣に疑問を持っているに過ぎない。こう考えてみるのはどうだろうか、今私達が手にしている自由や選択肢は本当に一個人の意思を尊重し、豊かな人生を助長するような環境が整っているのかと。ヒッピーと呼ばれた人達が作り上げたファッションは時を越えて何度もリバイバルしている。それはどこか満ち足りないという気持ちの表れなのかもしれない。この先も目撃するであろうファッションの革命や転換を楽しみにしつつ、その裏にある情熱と思想を感じ取れる人でありたい。下着をはじめモノづくりに関わる私達は、新しい時代を自ら掴み取ろうとする熱意を無視するような形で、作る側の都合を押し付けることなど出来はしない。

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