株式会社コ・ラボの企業サイトブログ「下着の歴史編」にようこそ。本ブログでは日本の婦人下着の歴史について学んでいます。
プロポーションを整えるための下着には、胸を寄せる、ヒップを上げる、お腹を押さえる等、高いパフォーマンスが求められます。しかしそこには『心地よく着用出来る範囲で』という条件が付いていることを忘れてはなりません。今回はファッションと共に下着の着用が喚起された頃、市場が求めるレベルを飛び越えてしまったために、問題となったケースを見てみましょう。
1章1話でコルセットにまつわる歴史を学び、その中で「クリスチャン・ディオールのニュールック」を取り上げた。日本に上陸した昭和23年(1948年)以降も、チューリップライン、Hライン、A,ライン、Yラインという新しい流行が次々に発表され、ファッション界が大いに盛り上がりを見せる中、ボディラインのメリハリを強調する「クリスチャン・ディオール」のファッションは、その着用に際し必ず下着が必要とされ、中でもウエストを細く絞る事が大きなウエイトを占めた。しばらくの間ウエストを細く見せるための下着としてコルセットが重要な役割を担っているが、更なる機能性を追求するべくウエストの細さに特化した新しい下着として登場するのがウエストニッパーである。昭和31年(1956年)頃登場したウエストニッパーは当時のファッションと共に大ヒットとなっているが、人気を勝ち取る一方でコルセットよりも強くウエストを絞るために「長時間の着用が健康障害を誘発し、実生活への支障が出るため人体に有害である」とする大学講師の研究発表によって、登場から1年未満という非常に短い期間でその鳴りを潜めることとなった。この研究内容についてはその後、必ずしも医学的な根拠がある訳でないとの証言を得る事が出来たのだが、ウエストニッパーに向けて放たれたネガティブな印象は強く残り人気回復には至らず、下着に対し人体工学に沿った開発や過度な負担を伴う事のない良識を迫る事になる。※現在は下着や生地の研究が進んでいるため、ウエストニッパーが健康障害を及ぼすとされた問題は既にクリアされている。
次いで登場するのはカンカンペチコートという下着で、下半身のシルエットを隠しつつスカートを裾に向かって膨らませ、現在のペチコートというよりは、パニエに近い用途で使用された。ウエストニッパーで広まった下着に対するネガティブな印象を一新し、街ゆく女性が皆カンカンペチコートを着たと言われるほどの大ヒットとなった。スカートに広がりを持たせることで生まれる視覚効果によってウエストを細く見せ、コルセットやウエストニッパーで求められたボディラインのメリハリの演出面においても矛盾は無く、健康被害の心配もなく着用することが出来た。着用時に表れるシルエットは19世紀から20世紀初頭に欧米で流行していたクリノリンやバッスルを回想させるが、それらとの決定的な違いは商品自体の軽さと着用の容易さであり、下着の普及に大いに役立った。
下着というものは普段人目に触れる物ではないため、下着に関わる事業者は自分達が送り出した商品がどのように利用されているのかを知る由はない。ウエストニッパー、カンカンペチコートが流行した時期には、女性達の姿を見る事で自分達の作った商品が売れていることを手に取るように実感できたために、一つのバロメーターとして下着の普及を測り自信へとつなげていった。
新しい商品を世に送り出す際には、この上の無い喜びを感じると同時に、市場の反応を正面から受ける緊張感を味わう。想定の範囲外の問題に晒されたのが初期のウエストニッパーであったが、大いなる教訓を得ることになった。利用者の『これではない』という声が聞こえるのであれば、先人達がそうしたように次なる提案で乗り越えよう、目をつぶることなく反応を確かめ改良しよう。そうすれば市場の声が私達に気づきを与え、新たな開発へ駆り立て、次のステージへ引き上げてくれる。
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