下着の歴史編

1章7話. 下着の必要性

株式会社コ・ラボの企業サイトブログ「下着の歴史編」にようこそ。本ブログでは日本の婦人下着の歴史について学んでいます。

1章では、日本下着業界の黎明期を振り返る中で、新しい下着の誕生、企業の努力と争い、縫製工場について見てきました。今回は消費者への訴求を探ります。下着はどのように消費者のニーズを引き出していったのでしょうか?一般の認識として下着の存在はなんとなく知ってはいるけれど無くても問題のない程度のだったのですが、売り手側が取った画期的な策があります。本ブログに何度も登場している和江商事を中心に繰り広げられたマーケティングを見ていきましょう。


和江商事(現ワコール)は、四条河原の決戦以降、大量生産に対応した自社工場の設立と立派な本社への移転や、東京の出張所を開設し事業を拡大してゆく。既存の商売はもちろんの事、大阪と京都の高島屋など、西日本の百貨店に売り場を持つようになっており、下着業界でバイタリティ溢れる躍動を見せていた。次々に新しい得意先を獲得する中で、世間一般の下着の普及率が低いまま推移している事がわかり、売り場の数を増やすだけではなく、販売枚数の拡大が次なる課題となった。ある日、新しい得意先候補の阪急百貨店の仕入れ課長から『下着の付け方が分からない方が多いため実演できないか?』と問い合わせがあった。和江商事が売る者とするならば、百貨店は扱う者とでも表現できるだろうか、売る側とすれば下着の需要は計り知れないほど大きくなる確信があるが、扱う側にしてみれば、暖かい季節だけ売れていくスポット商品に対して半信半疑な部分が拭い切れずに、本当に売れるなら仕入れようというのが基本スタンスであった。

さっそく下着の説明と着用実演の準備に取り掛かり、昭和27年(1952年)日本で初めてモデルが下着を着用してお客の前を歩く下着ショーを開催した。下着モデルという職業も存在しない当時ではかなり刺激的なイベントとなったが、300名を収容するホールは毎回満員御礼となり、阪急百貨店の売り場の獲得に重ねて下着ショーを通じて世間の注目を集めテレビ放送の取材依頼も殺到した。回を重ねる毎に華やかさを増してゆくことで評判はすぐに広がり、下着ショーの開催を条件に新たな売り場を獲得し、それぞれの売り上げも順調に伸びていった。ショーの下着モデルに求められたのは、端整な顔立ちだけでなく、下着をより魅力あふれるものに見せるための美しい体のラインが重要視されており、起用されたモデルの中には、後にミス・ユニバース第3位となる伊藤絹子、映画女優となる団令子などが名を連ね、美人という概念が顔だけでなくプロポーションと共に重要であるという新しい基準となった。そこへ必要となるのが体形を整える下着とあって、下着と下着モデル達の活躍の場を押し広げながら相乗効果をもたらしている。

下着モデルを務めた彼女達はショーを通じて世の中へ羽ばたいていくのであるが、下着ショーがなければその運命はまた違うものになっていたかもしれない。一方、和江商事以外の事業者も指を咥えて見ているだけではない、ランジェリーを開発していた内外編物株式会社が神戸の三越、東京の伊勢丹でショーを開催し、ファンデーションの先駆者である半沢商店とタイアップした豪華な下着ショーで新作の発表を行うようになり、下着の宣伝や販売戦略はショーを通して業界全体を盛り上げた。下着ショーの意義は下着自体を世間に広く呼び掛ける啓蒙活動の意味合いが強く、それは確かに予想を上回るほどに喚起されたのだが、和江商事には別の狙いもあった。その後下着業界のトップに君臨する和江商事が唯一攻め落とせていなかった関東圏の百貨店攻略のために、盛大な下着ショーを開催する事で和江商事の存在をアピールしていたのだった。

ショー開催の費用が大きく膨れ上がるほど下着ショーの開催規模が豪華になっていくのだが、鮮烈なアピールも空しく東京の百貨店の扉は重く一向に進展がなく暖簾に腕押し状態が続く。後に判明する事になるのだが、関東圏の百貨店は既に半沢商店が抑えており、和江の付け入る隙を与えていなかった。最終的に東京の三越攻略を以って和江商事の百貨店制覇が成るのだが、関東圏の商売人達は固く強い絆で結ばれており、三越の人材紹介で半沢商店が自社の部長に起用し蜜月関係が築くなど、ありとあらゆる手法で関東圏の商圏を死守しようとしていた。和江商事は下着ショーを講じても関東の百貨店を攻めきれずにいたが、製品のクオリティが良かったこと、下着ショーの評判、関東圏での地道な営業を続けた事で、卸問屋の海渡商店(現:エトワール海渡)や下着専門店の三愛(現:下着・水着事業がワコールグループ)と取引する事が出来、少しずつ関東の得意先を獲得していく。

人は良い物よりも知っている物を買う、と聞いたことがある。下着ショーが行われてから70年が経とうとする現在、新しい下着が出来た場合のマーケティングとして下着ショーを行うのは最善とは言えないだろうが、新製品を広く世に伝えようとした事業者の情熱、またその先の戦略を実行していくマインドなど、下着の黎明期から学ぶ事は非常に多い。

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