下着の歴史編

0章6話.戦時下に見えた光

株式会社コ・ラボの企業サイトブログ「下着の歴史編」にようこそ。本ブログでは日本の婦人下着の歴史について学んでいます。

0章最終話です。今回は日本史で最も深い谷の部分に触れます。下着の歴史を知る上では関わりの薄い部分であるかもしれませんが、繊維業界を戦時下というレンズを通して見た場合に浮かび上がる疑問と共に、それらは完全に切り離せるものなのかどうかについて迫ります。


前話で触れた白木屋火災の1年前の昭和6年(1931年)の満州事変から、続く昭和12年(1937年)日中戦争、昭和16年(1941年)太平洋戦争と継続的且つ、拡大的な戦争を経験した日本では、玉音(ぎょくおん)放送によって終戦を迎えた昭和20年(1945年)までに全体の2割に相当する家屋が焦土と化し、文化、経済は音をたてて瓦解し、大きな分断の歴史を見る事になった。戦時中には空襲から逃れるために都市部を離れ地方へ疎開し、米、味噌、醤油、マッチ、木炭などの生活必需品は十分とは言えない量の配給制になり、酒、たばこ、衣類も制限ないし禁止された。軍備を整えるために鉄は回収され、その対象はミシンにまで及ぶ、洋装を積極的に取り入れ始めていた女性衣類に関しては、ワイシャツ、スカートなど欧米の文化を取り入れた服装は排斥され、昭和14年に国民服とされる筒袖とモンペの着用が制定された。国民精神総動員による「欲しがりません、勝つまでは」という言葉が広くその世情を表している。戦後はGHQによる統治統制によって、ありとあらゆるものがリセットされとにかく物が無かった零地点から欧米の文化が改めて来日し次第に活気を取り戻し、洋服に身を包んだ人々が現代の日本を創り上げる。これが現代に暮らす私達が伝え聞く、暗く長い戦時下の人々の暮らしである。さて、少し先読みするようではあるが、日本の戦後経済復興にはファッションの分野、特に縫製業が一役買っている、その中に下着の開発を見る事が出来るようになるが、縫製業はミシンを動かす技術者が必要になる、当然型紙の設計も必須で、少しレクチャーを受けた程度では仕事にはならない職人の領域である。戦争によって長期分断されたのであれば、本来は然るべき経験や訓練を経て一人前と認められる衣類に関する技術者達が紡いだ系譜は一旦途切れ、戦後に改めて沢山育成されたという文脈になるが、その復興や発展を遂げたスピード感と、一から技術者を育成するのに必要な過程について少々違和感が残る。下着についての話は一旦脇に置き、ファッションやおしゃれという面から考えて本当にその分断は以前、以後を分ける大きなものだったのだろうか。

戦争末期の洋裁学校を見てみると、昭和18年(1943年)には東京の文化服装学院4,000人、ドレスメーカー女学院では1,000人という学生数で、入学募集を途中で打ち切るほど人気である。また、終戦直後に壊れた校舎に学校再開を訴える学生が詰めかけたエピソードも残っている。戦時中においても服装について先頭に立った指導者達、学びを求めた学生達はモンペではなくズボンやスカートを、筒袖ではなくシャツ、ジャケットを自分たちの手で作り、「こちらの方が動きやすく戦時下の非常時服として実用的(尚且つおしゃれ)」という立場を取り続け、またファッションの観点からパーマも全国的に隆盛しており、防空壕内でのパーマ施術、鉄製の機器回収と電力制限後は顧客自ら苦しい生活の中、配給の木炭を持ち込んで継続され国民精神総動員に対し理解を求めた。こうした活動に対しては、石を投げつけられ罵詈雑言を浴びせられたが、洋服を基礎とする非常時服で戦争の後方支援に参加し、パーマを施し適切に整えられた髪形は、長く伸ばされ結んだものよりも激しい運動に適応した事から、時の政府に対する反逆的な活動に結び付けるには無理がある。認め得る事実としてはそうした活動の根幹にはおしゃれに対する憧れや探求があったが、批判を受けながらも怯むことなく立ち向かった方々へ敬意を表する形で、次のように纏める。

苦しい環境を余儀なくされ厳しい声に晒されても、洋裁学校や美容院は活動を止める事なく発展しようとした。抑制を強いる勢力に馴染む形を提案し、敵対ではなく適応するテクニックを向上させ、衰退・停滞するどころかむしろ深く強く根を下ろし成長させて我々に継承されている。その事実から、復興と発展を支える技術者が多く存在したという事で前述の問いに矛盾はなくなる。戦後の発展については確かに目覚ましいものではあるが、「戦後からの文化である」という一種の区切りを設けた上での理解では、それ以前の努力と経験を存在しなかったものとして片づけてしまうのと同意である。ファッションやおしゃれについては、「戦後の文化である」という誤謬(ごびゅう)を今一度見直し、辛く悲しい時期を乗り越える事ができた文化の一つであると胸を張ってよい。歴史を紡いだ先駆者達から脈々と受け継がれ、当時の人々の希望となったその光は、頭の中にある分厚い分断の歴史を貫いて私達を照らし続けている。

当ブログ昭和初期の簡易年表

  • 1926年:昭和元年
  • 1929年:昭和4年頃 国産第1号のブラジャーとコルセットの誕生
  • 1931年:昭和6年 満州事変
  • 1932年:昭和7年 白木屋火災 以後ズロースが普及した?
  • 1937年:昭和12年 日中戦争
  • 同年 国民精神総動員 配給開始
  • 1941年:昭和16年 太平洋戦争
  • 1945年:昭和20年 終戦

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